小松天満宮より金沢観音院への出開帳

藩政期、当社から金沢の観音院へは定期的に出開帳が行われており、古文書によれば五回行われています。第一回は正徳四年(1714)、第二回は元文元年(1736)、第三回は開帳旧記によれば天明二年(1782)、小松旧記によれば天明五年、第四回は文政二年(1819)、第五回は安政四年(1857)です。なお、観音院とは、金沢市東山の卯辰山の入口にある長谷山観音院(卯辰観音院)であり、本尊十一面観世音菩薩をまつる寺院として、三代藩主利常夫人(徳川家康の孫の珠姫)の手により、元和二年(1616)に卯辰山の場所に移転、造営されたものです。当社よりの出開帳は小松の町衆からの拠金を得て行われていたことや、金沢到着に際しては慣例により金沢中の獅子が南端の泉出町に出迎えることになっていたことなどが古文書より判明します。
 初回の出開帳のおこなわれた正徳四年は、金沢観音院三重塔の建立された承応三年(1654)から還暦の歳、同じ干支(甲午)をもつ歳、にあたりますが、全国的にみますと、成田山新勝寺がはじめて江戸(深川永代寺)に出開帳を行った元禄十六年(1703)から十一年後のことでした。
 なお、文政二年の出開帳時に桃と共に奉納されました釣鐘灯籠には、藩政期の天神信仰の一端を物語る以下の願文が記されています(翻刻は、柳澤良一氏による):

文政二年小松府梅林院
菅神駐聖駕於長谷山于茲
五月四日
  闔社進般若之妙味桃一點法燈於
  永世以報明神之洪徳云爾
加陽金府鍵街酔墨洞社長高田魯謹誌
加州金沢住御鋳物師横河五郎右衛門尉藤原永久

 また、文政二年の出開帳中ゆかりの宝物には、十二代藩主齊広の子女方奉納の天満書きが伝来します。ここに、長女直姫(十一歳)奉納の菅公のお人柄を偲ばせる五言の天満書をご紹介します(画像1)。最後の出開帳となった安政四年の御開帳供奉行列模様を描いた絵巻物が伝来しています(画像2)。

画像1

直姫の天満書(文政二年出開帳)

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 画像2: 安政四年小松天満宮出開帳絵巻

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