久保田米僊の画いた当社周辺山水画

久保田米僊は嘉永五年(1852)二月京都に生まれ、名は寛、米僊と号した。慶応三年円山派の流れをくむ鈴木百年に師事し、明治十九年には皇居造営にあたり皇后宮化粧間天井、杉戸絵を制作、明治二十二年パリ万国博覧会にて金賞を受賞、明治二十三年京都美術協会設立に尽力し、翌二十四年上京して国民新聞に入社。明治三十年石川県立工芸学校教授として図案絵画科で教鞭をとるも眼病を得て三十二年退職、明治三十九年享年五十五歳で逝去。

本山水画は、米僊が明治二十四年北陸漫遊の折に立ち寄った当地において、梯川左岸側より当社から梯大橋・白山方面を眺めての風景を画いたもので、梯川を画いた山水画としては唯一のものでないかと思われます。 また、米僊の作品は石川県立美術館や高岡市立博物館も所蔵しますが郷土の風物を画いたものの展示として初出と思われます。

日本語HPの表紙に掲載するは奉納宝物「梯川山水画」の一部(当社を画いた部分)です。境内に咲き誇る白梅、赤い鳥居、昭和初期の河川改修により新設の小松大橋完成前までの参詣路である、梯川を舟で渡っての参詣した頃の船着き場(天神河道)の門が水辺に画かれていて、創建当初の原風景の特徴がよく画かれています。